産み時Vol: 1 正社員とフリーランス 妊活のしやすさ、仕事の満足度を徹底検証①

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いよいよ始まった女の産み時シリーズ。記念すべき第一回は、正社員として第一子を出産後に、フリーランスとして独立。現在は日本語教師・コンサル・ライターと多くの仕事を抱えながら二人目不妊で不妊治療を行うF子さん(仮名)に話を聞いてみました。

周りの影響を受けやすい性格。大手企業に勤めた後は、「年収」と「嫌いでない人」に重きを置いて婚活開始

- ずいぶん戦略的な婚活だったんですね(笑)

私はいわゆる一流大学に進学し、就職先も業界の大手に就職しました。就職後は多くの同期が首都圏に配属される中、数少ない転勤者として数年間地方で働きました。

帰任してみると地元の友達は皆、結婚や妊娠で良妻賢母を地で行っていて。今思えば29歳だったので焦る必要はなかったのかもしれませんが、当時あまりにも多忙で「この会社では一生働けないな」という不安もあったため、早々に婚活を開始しました。

当時のクライアント先が外資系金融機関ということもあり、そこで働く人が都心で優雅な生活をし、子供の教育費などにもお金をたくさんかけていることを目の当たりにしました。

将来、子供は欲しかったし、子供に不自由はさせたくない、と思っていたので結婚するなら「好きな人」ではなく「優秀な人=稼げる人」のイメージが先行し、周りの友人もいわゆるエリートと結婚する人が多かったので、中途半端に妥協が出来なくなっていったんです。

自分では婚期が遅れていると感じていたので、婚期が遅れているからこそより良い人と出会いたい、と理系×コンサルにターゲットを絞って合コン三昧。そうして出会ったのが今の夫。大恋愛を経てというよりは、お互いに一緒にいて疲れないということもあり数年の同棲を経て結婚しました。

正社員での子育て。年収は半分以下、親も自分も疲弊。夫の方が稼ぎがいいのでほぼワンオペ状態の中でボロボロに。

その後、転職を経てコンサルの会社へ。人工授精をして子供を授かりました。しかし、出産前にマネージャー職に就いていたF子さんは復職後は、時短勤務のためメンバーに降格。その際に管理職手当やその他手当がなくなり、なんと年収が出産前の半分以下になってしまったのです。

加えて、コンサル先の企業に1人で常駐するスタイルの仕事をしていたF子さんは、自分が休んでも誰も代わりがいない、クライアントにも自分の会社にも迷惑がかかるという状況の中でボロボロになっていきました。

ー ご両親の協力は得られなかったのですか?

隣の県に両親が住んでいたので、どうしても休めない時には来てもらっていました。ただ、いくら元気だといっても、既に母は63歳。真夏の酷暑の中の育児などは本当に辛そうでした。

子供の病気で休む時には病院まで連れて行ってほしいというのが本音ですが、そこまで親を頼ることも出来ません。また、当時は0歳児クラスに預けたばかりということもあり、子供が1か月の半分は体調を崩して保育園を休んでいたので、両親の協力も焼け石に水でした。

ー 夫の協力は?

婚活の時には考えていなかったのですが、育児の面では夫の高年収が大きな足かせになっていました。夫の会社は実力主義なので、成果が認められれば年収が100万~200万簡単に上がってしまう。逆に常に成果を出し続けなければならないので気が抜けません。

夫自身は優しく育児にも協力的ですが、保育園から何度も呼び出しを受けて業務に支障が出ることは会社からの評価のリスクにもつながるんです。

なので、家庭経営の側面から見ても私が育児を担当した方が絶対にいい、そう思いほぼワンオペ状態。現在でもその状況は続いています。自分のやりがいは一体何だろう、と考える事もありました、、、

月の半分は子供の病気で保育園から呼び出され、心身共に疲弊したF子さんは遂に会社を退職する事を決意しました。

ライター、日本語教師、コンサルのパラレルキャリアがスタート!

ー  退職して収入が減る事に心配はなかったんですか?

勿論、収入が減るのは困ります。ただ、実は私は学生の頃から日本語に興味があり、仕事をしながらライター養成講座に通ったり、日本語教師の資格を取っていたんです。

もともとコンサルはフリーランスが多い業界。まずは10年以上にわたる経験のあったコンサルの仕事で稼ぎながら、ライターや日本語教師にも挑戦してみようと思える良いきっかけでした。実際初めてみると、コンサルの方はそれまでの人脈を使ってスムーズに仕事が入り始めたんです。

ー 仮に資格を取っていたとしても、37歳で未経験の仕事を、しかもフリーランスで出来るのでしょうか?

日本語教師に関してお話しをすると、外国人は文法的に「正しい」日本語を学びたいわけではなく、「日本語を使って」活躍することを望んでいるんですね。今、日本語学校は生徒の就業率に力を入れているのですが、企業勤務経験のある教師がほとんどいない。

その為、私はこれまでの自分の企業での就業経験を生かして、就職カウンセリングやビジネスメール講座、外国人を採用している企業への派遣講師など、従来の日本語教師には回ってこなかった仕事を獲得することが出来ました。

一般的にはフリーになっても経験がないと仕事が来ないと言われていますが、世の中にはそういったゼロからでも始められる仕事もあるんです。日本語教師は何歳になってもできる仕事。私のキャリアのスタートは全く遅くありませんでした。

ライター業についても、これまでの人脈をつかってお仕事が獲得出来ている状況です。

そうしてこれまでの経験×新しいことへのチャレンジのパラレルワークを始めたF子さん。新しいチャレンジをしながらも、僅か1年で出産前以上の収入を得られるようになったのでした。

正社員とフリーランス 妊活のしやすさ、キャリアの満足度を徹底検証②へ続く→

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